播磨国風土記1300年祭に向けて、播磨国風土記の里 加西市をご紹介します。
(奈良時代初期に播磨地域の国情を記した報告書「播磨国風土記(はりまのくにふどき)」は平成27年に、編纂されて1300年を迎えます。)
播磨国風土記の里 加西(日本語版)
播磨国風土記については、奈良時代初期の713年5月の官令により作成が命じられた地誌で、715年に編纂されたとされています。全国各地で編纂されたはずの風土記ですが、現存するものはわずかで「出雲」、「常陸」、「肥前」、「豊後」、そしてここ「播磨」の5つです。この日本最古の地誌である播磨国風土記には、地名の由来や土地の伝承、土地の肥沃さなどが記されていますが、はるか1300年前には既に、この地域で人々が安定した生活を営んでおり、当時の生活や文化、自然、人やものの移動など、様々なことをうかがい知ることができます。
加西市は、この播磨国風土記に賀毛郡として記述されています。賀毛郡(賀茂郡)とは、現在の加西市、加東市、小野市にあたります。
加西市で一番有名な記述は、玉丘古墳の根日女物語です。この根日女は現在、市のゆるキャラであるねっぴ~のモデルとなりました。
根日女物語とはこんな話です。
『播磨国賀毛の里を治める国造許麻の娘である根日女。ある日、根日女が偶然二人の若者の命を救ったことから恋が芽生え、愛が育まれていきます。その若者たちは後に天皇となる二人の皇子だったのです。二人は、ゆずり合いながら根日女に結婚を求めましたが、根日女は里をはなれられません。やがて、都に帰った二人の皇子は、根日女の愛を心の支えに大和(今の奈良県)をまとめ、天皇になりました。そして、きさきとして、根日女をむかえようとしましたが、根日女は、息を引き取ってしまうのです。悲しんだ二人は、根日女のために賀毛の里の墓をつくりました。朝日夕日が隠れることなく照らしつづける地に、表面を美しい玉石でおおい美しいお墓をつくりました。』
このような悲しいけど、純愛を貫きとおした根日女は、現在の加西市民の心に今なお生き続けています。
このお墓が現在の玉丘古墳です。玉丘古墳の周辺には、その他、クワンス塚古墳や壇塔山古墳など5世紀前半に作られた古墳群があり、現在は玉丘史跡公園として整備されています。古代の歴史を気軽に見学できるようになっており、また、これら古墳群の出土品については、埋蔵文化財整理室に保管されています。
この他に、播磨国風土記には加西市の記述が多数でてきます。今年からこれら播磨国風土記のゆかりの地に、説明看板や案内を設置して、多くの方に訪れてもらえるように整備していきます。
ぜひ歴史とロマンのある、播磨国風土記の里 加西にお越しください。