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ようこそ加西市国際交流BLOGへ! 加西市には約800人の外国人の方がお住まいです。 国籍にとらわれず、お互いを理解しながら、国境を越えたつながりがたくさん生まれますように★★★ そんな思いを込めて活動している事務局からのインフォメーションをお届けします。(^ー^* )
2024/11/21 (Thu)
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2014/05/18 (Sun)

Harima-no-Kuni Fudoki no Sato Kasai   (English)

    “Harima-no-Kuni Fudoki” has been formed by the orders of the official law on May, 713, which is the early days of the Nara Period. It was compiled in 715 and it was spread to many parts of Japan. Currently, Fudoki only remains in five areas. Those five areas are “Izumo, Hitachi, Hizen, Bunngo, and Harima. “Harima-no-Kuni Fudoki” is Japan’s oldest chorography. It describes the name origin, tradition and the quality of the land. It mentions that people had an abundant life over 1300 years ago. By reading this, you can understand the life, culture, nature, and transportation of this period.

          Kasai city is depicted as Kamogunn in the Harima-no-Kuni Fudoki. Kamogunn includes the current Kasai city, Ono city and Kato city. One of the most famous descriptions of Kasai City is the Tamaoka mount tombs’ Nehime story. Currently, there is a Kasai city mascot named Neppy. This Yurukyara Mascot was modeled after Nehime.

    Now, I would like to tell you the tale of Nehime.

    “Nehime is the daughter of Kuninomiya-tukoma, who rules the valley of Harima-no-Kuni Kamo. One day, she saves two young men’s lives by accident. Nehime falls in love with those two young men. These two young men are in next in line to become the emperor. They’ve proposed to Nehime to marry them; however Nehime cannot leave the valley. Therefore, the two princes returned back to the capital, Nara and became the emperor. The princess seeks to marry Nehime, but Nehime dies right before the marriage. The two princesses became sad and establish a tomb in Kamo for Nehime. They made the tomb in a place where the sun shines all day and night. They have placed precious stones on the surface and created a beautiful tomb.”

    This is a sad ending, but Nehime pursued her true love until the end. Currently, Nehime is living in the hearts of the Kasai people.

    This tomb is the Tamaoka-Kofun seen in the present time. There are other tombs, such as the Kuwansu-kofun and the Dantozann-kofun placed nearby the Tamaoka Kofun. These tombs were constructed in the begging of the 5th century. All of these tombs are under the maintenance of Tamaoka Shiseki Park. Anyone is welcome to observe the ancient history. Also, the historical finding from the tomb is stored at the buried artifacts maintenance room. Harima-no-kuni Fudoki describes many things about Kasai city. We will establish an information board, so that many visitors can enjoy Kasai from this year.
    Please visit Kasai city where it has an interesting and romantic history.



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2014/05/18 (Sun)
播磨国风土记的故乡 加西  (中国語)

  
 
关于播磨国风土记是奈良时代的初期纪元7135月以朝庭的命令下做成,纪元715年被编集的。

 当时风土记是全国各地编记集了好多,但现在存在的是「出云」,常陆肥前丰后还有播磨5个。这个日本地理上最早的播磨国风土记记载了地区的历史和地方的传统,土地的肥沃等等。

  这个地区里1300年之前人们已经开始了稳定的生话。在这个风土记里我们可以知道当时人们的生话文化,自然,人与物质的移动。

  加西市是在这个播磨国风土记里以贺毛郡的名字记载着。贺毛郡指的是现在的加西市,加东市,小野市。

  加西市最有名的是玉丘古墓的根日女故事。根日女的故事是加西市里最典型的保贵的故事。

 根日女的故事是这样的。

  根日女是当时统治播磨过贺毛的叫过造许麻的女儿。有一天,根日女偶然的机会救了两个年的命。以这个是事他们之间产生了感情。而这个感情越来越成熟。这两个年轻人是以后成天皇的两个皇太子。这两个皇太子互相成让跟根日女的结婚。那时根日女始终没离开故乡。

 两个皇太子回到了皇宫之后,都想念着根日女。后来他们成了大和(现在的奈良)的天皇。他们成了天皇之后接根日女,但那时候根日女已经离开了人世。这两个人以悲痛的心情,为了哀悼根日女,在贺毛的村落里做了坟墓。做坟墓的地方是朝,晚都太阳照着的阳光之地,坟墓的表面是用美丽的玉石做成的。

  这个故事是悲剧,但根日女的纯晶的爱情,到现在还留在加西市市民的在里。

  这个坟墓就是玉丘古墓。

  玉丘古墓周围有冢古墓,坛塔山古墓等5世纪前半年做成的坟墓。

  现在成了玉丘史迹公园。

  在这里我们能看出古代历史。从坟墓里究出来的出土品现在保管在古物文化整理室。

 另外,播磨国风土记的地方设置着案内说明的黑板。给旅客门方便。

 欢迎旅客门到播磨国风土记来参观。



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2014/05/18 (Sun)

播磨国風土記1300年祭に向けて、播磨国風土記の里 加西市をご紹介します。

(奈良時代初期に播磨地域の国情を記した報告書「播磨国風土記(はりまのくにふどき)」は平成27年に、編纂されて1300年を迎えます。)

播磨国風土記の里 加西(日本語版)

 播磨国風土記については、奈良時代初期の713年5月の官令により作成が命じられた地誌で、715年に編纂されたとされています。全国各地で編纂されたはずの風土記ですが、現存するものはわずかで「出雲」、「常陸」、「肥前」、「豊後」、そしてここ「播磨」の5つです。この日本最古の地誌である播磨国風土記には、地名の由来や土地の伝承、土地の肥沃さなどが記されていますが、はるか1300年前には既に、この地域で人々が安定した生活を営んでおり、当時の生活や文化、自然、人やものの移動など、様々なことをうかがい知ることができます。

 加西市は、この播磨国風土記に賀毛郡として記述されています。賀毛郡(賀茂郡)とは、現在の加西市、加東市、小野市にあたります。

加西市で一番有名な記述は、玉丘古墳の根日女物語です。この根日女は現在、市のゆるキャラであるねっぴ~のモデルとなりました。

 根日女物語とはこんな話です。

『播磨国賀毛の里を治める国造(くにのみやつこ)許麻(こま)の娘である根日女。ある日、根日女が偶然二人の若者の命を救ったことから恋が芽生え、愛が育まれていきます。その若者たちは後に天皇となる二人の皇子だったのです。二人は、ゆずり合いながら根日女に結婚を求めましたが、根日女は里をはなれられません。やがて、都に帰った二人の皇子は、根日女の愛を心の支えに大和(今の奈良県)をまとめ、天皇になりました。そして、きさきとして、根日女をむかえようとしましたが、根日女は、息を引き取ってしまうのです。悲しんだ二人は、根日女のために賀毛の里の墓をつくりました。朝日夕日が隠れることなく照らしつづける地に、表面を美しい玉石でおおい美しいお墓をつくりました。』

このような悲しいけど、純愛を貫きとおした根日女は、現在の加西市民の心に今なお生き続けています。

  このお墓が現在の玉丘古墳です。玉丘古墳の周辺には、その他、クワンス塚古墳や壇塔山古墳など5世紀前半に作られた古墳群があり、現在は玉丘史跡公園として整備されています。古代の歴史を気軽に見学できるようになっており、また、これら古墳群の出土品については、埋蔵文化財整理室に保管されています。

 この他に、播磨国風土記には加西市の記述が多数でてきます。今年からこれら播磨国風土記のゆかりの地に、説明看板や案内を設置して、多くの方に訪れてもらえるように整備していきます。

 ぜひ歴史とロマンのある、播磨国風土記の里 加西にお越しください。


 

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